自宅の近所に「豊龍」という中華料理店がある。

ぱっと見た感じはどこにでもありそうなフツウの中華料理店である。

谷 啓に似たおじちゃんと、そのおじちゃんの息子とでやっている。

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まだ浅草に引っ越してきて半年程度だが、仕事からの帰り道、気になり店内を覗くと、いつも賑わっていることもあって入店したのが最初。

その際たまたま注文した五目チャーハンのあまりのウマさに唸ってしまった。

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味はもちろんのこと、息子のフライパンさばき、熱心に一粒一粒をきめ細やかに炒めあげる後ろ姿に心を打たれた。

そんなこともあって、飲んだ帰りとなると、ついつい自分の欲求を抑えることができずに立ち寄っては、ラーメンやチャーハンを食べてしまう。

そういう意味では、敵視している店のひとつでもある。

 

先日、生まれも育ちも浅草という親友と飲んだ際に、「豊龍」の「チャーハン」の話をしてみた。

すると、当然かのごとく、「知ってるよ。バカだな・・・チャーハンもうまいけど、あそこはジャージャー麺がウマいんだよ。」と自慢げに教えてくれた。

それからなかなか行く機会がなかったのだが、昨日ふと「豊龍」の「ジャージャー麺」が頭をよぎり迷うこと無く「豊龍」へと足を向けた。

ちなみに、昼の時間帯に入店するのは初めて。

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店に入るやいなや、息子ではなく、おばちゃんがいて、しかも、いつもバイトのような位置づけのおじちゃんが厨房に立っている光景を見て驚いた。

なぜなら、おじちゃんは夜の時間帯においては、注文とったり、水くんだり、皿洗いしたり・・バイトのように息子に顎で使われながら働いている。

それを見るたびに、勝手ながらではあるが、“店を支えてくれいた奥さんを早くに亡くして、路頭に迷っていたおじちゃんを息子が見てられずに手伝うことを決心し、いまでは大黒柱として支えているのだろうな・・”などと訳のわからない妄想を膨らませていた。

 老夫婦ふたりが肩を並べて調理している後ろ姿がどこかほっこりとした気持ちにさせてくれた。それと同時に、大黒柱がいないことに一抹の不安をおぼえたが、親友の言葉を信じて「ジャージャー麺」を注文した。

おじちゃんがフライパンを握って調理するのを祈るように眺めていたのだが、息子のテンポは異なりおぼつかない。安定感・安心感の欠片もない。

そうこうしていると、「はい、お待ち!」という威勢のいい声とともに、「ジャージャー麺」が出てきた。

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見た目は、フツウの「ジャージャー麺」。

むしろ、キュウリをあまり積極的に摂取しない自分としては、一気にテンション下がったが、親友の言葉を何度も思い出し、自分を言い聞かせながら、恐る恐る口にした。

「なんやこれ、ウマッ!!!」

しっかりゆであがった柔らかな細麺に、辛さと甘さがいい具合に合わさったソースが麺にからみつき、抜群の味を引き起こしている。また、キュウリが食感を下支えしている。

 

あまりの衝撃に、ちょうど昼の営業を終えて、カウンターに座っていたおじちゃんに思わず話しかけてみた。

どうやらキャピタル東急ホテルでの調理経験ある息子が考案したメニューであるということが分かった。

五目チャーハンの話をすると、それも定番で、息子のこだわりメニューのひとつであることを教えてくれた。

お互いに徐々に打ち解けてきたところで、店や家族の話へと発展していった。

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いまでは、バイトのようなポジションで、息子に顎で使われてるおじちゃんだが、実はそのおじちゃんが広尾で始めたのが最初だそうだ。

おじちゃんは現在78歳。

調理経験数ヶ月という状態のまま、39歳の時に広尾で中華料理屋(おじちゃん曰くラーメン屋)をオープンしたところ、飛ぶ鳥を落とす勢いで店の売上は伸びていったようだ。

やはり、味にとことんこだわったらしい。

おじちゃんに言うところのスープ、それがその店の味のすべてらしい。

「ラーメン」を食えば、その店の程度が一発で分かると言い張る。

おじちゃんのこだわる味が、口コミでどんどん広まり、常連客の中にはテリー伊藤をはじめ芸能人も大勢いたとのこと。

もちろん、当時の世の中の波に乗ったのもあったんだろう・・と冷静に分析しながら話を続けてくれた。

広尾の店が安定したことを受け、2店舗目をオープンしようと決めて、場所の選定をしていた時の話、広尾から足立の自宅までの帰り道である浅草が適当と判断して最終決定したこと、物件契約時に不動産屋に騙されそうになったこと、2人の子供のこと、商売についての考え方など・・。

浅草店のオープン以後、何年にもわたり、広尾と浅草を行ったり来たりの生活を続けた結果、過労や睡眠不足がたたり、59歳の時に脳梗塞で倒れてしまった。

さっき目にしたおぼつかないのは、その後遺症だということがわかった。

それからもリハビリもかねて、杖をつきながら、広尾と浅草を行ったり来たりの生活を繰り返したらしいが、10年ほど前に広尾の店はたたんだそうだ。

もともと息子はバンドマンだったらしいが、20歳を過ぎてからもバンドに熱中していた息子を見るに見かねて、おじちゃんが店を手伝わせたのが最初のキッカケらしく、それから時間は流れ、おじちゃんの味を引き継ぎ、いまでは浅草店の顔として立派に店を支えておられる。

話は弾み続け、若い頃はアメ車を乗り回していたとか、マンションや土地をいくつか所有しているとか・・だんだん異方向へと勢いを増し自慢話へとなってきたので、近々顔を出す約束と会計を済ませて店を後にした。

 

おじちゃんの話の中で、印象深い内容がいくつかある。

内容はともかく、ここまで人様に堂々と言えるようになってはじめて「プロ」なんだと思った。

「中卒の俺なんかでも、睡眠時間2時間で、こだわり持って、サボらず、頑張りゃ何とかなるもんだねえー。19年前にぶっ倒れた時、これで死んでもいいと思ったよ。何の悔いもなかった。でも、おかあちゃんが、カラダを張って頑張ってきたから神様が助けてくれたんだよ・・って言ってくれてね。もっと頑張らなきゃって思って、いまも何とかやってるんだよ。」

「最近じゃ、マズい店なんかないんでしょ!?でも、ウマい!と心底思う店って意外とないんじゃない?!うちに来てくれたお客さんはみんな口を揃えて、うちの味が忘れられないって言ってくれるぜ。当たり前だよな。ぶっ倒れても、こだわり続けてきたんだからな。」

 

単なる食いしん坊のデブが書いたブログで片付けず、浅草に来た時にはぜひ行ってみて欲しい。そして、おじちゃんの顔を眺め、この話を思い出しながら、味わって食べてもらいたい。