山の芋というのをご存知だろうか。長芋でも山芋でもなく、山の芋(ヤマノイモ)である。東京に出てきてからは見かけることがなくなった。

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この山の芋を見ると、幼少時代のことが走馬灯のように蘇ってくる。友達と遊んだことよりも家族で出かけた旅行よりも何よりも思い出に残っている。

 

なぜか?母親の実家が山の芋の卸業を営んでおり、長期休暇になるたびに祖父母に会いに行くというテイで、ちょくちょく出向いては、果物ナイフ片手に山の芋の皮むきを手伝ったり、市場に出かけるとなると助手席に同乗し着いて行ったりしていた。足手まといなだけで、たいした役にも立ってなかったろうに、その見返りとして祖父母から法外なオダチンを受け取り、それに味をしめていたに違いない。厚かましい。

 

小学生なのに金目当てかよと言われれば、それだけでは決してなかったようにも思う。教員の親をもつ自分としては、子供ながらに親とはまったく異なる仕事、いわゆる商売というものがとても刺激的で、面白いものとして映っていたように思う。行くとこ行くとこで、「いつもありがとうございます。最近、調子どないでっか?」「いやー、ぼちぼちですわ・・。」みたいな、大人の会話のやりとりを楽しんで眺めていたように記憶している。

 

山の芋の皮むきのおかげもあり、野菜や果物の皮をむくのが得意だったりする。

 

そんな山の芋ではあるが、昨年くらいだったと思うが、知人からお贈り物をいただき、何をお返しとしてお贈りしようかと色々頭を悩ませていた時に、ふと思い出した。

 

「あっ!そうや。山の芋にしよう!」

 

東京の方にとっては、きっと珍しい食べ物だろうし、強精野菜と言われるだけあって栄養満点、喜ばれるに違いないと興奮覚めやまぬ状態のまま、母親に電話をし、親戚からの取り寄せを依頼した時、もう商売をやめた・・細々とやっている・・という事実を知った。

 

幼少時代には、あれほど足を運んでいたにもかかわらず、年頃になった途端、顔すらも出さなくなった。さすがに祖父母が他界した時は、東京から最後のお見送りに向かったがそれっきりという始末である。

 

それからもう15年近くが経っているにもかかわらず、以前と同じと考える方がおかしいのかもしれない。

 

ところが、先週の事ではあるが、宅急便が届いたと思ったら、見覚えのあるダンボールで、そこにはデカデカと「山の芋」と書かれている。それをみて、誰からの荷物であるかがすぐにわかった。

 

祖父母同様に、可愛がってくれていた伯母さんからの出産祝いである。

 

すぐさま電話をかけると、伯母さんが電話口に出た。聞こえてくる声は昔のまんま、話し方も変わらない。ついつい嬉しくなり、話し込んでしまったが、きちんと書面で伝えたいこともあって手紙を書いて送った。

 

それから数日後、会社の問い合わせフォームから一本のメールが届いた。メールの送り主は、従兄弟。伯母さん宛の手紙を読んでメールをくれたらしい。

従兄弟といえば、自分にアメフトを薦めてくれた人間である。アメフトの名門校・関西学院大学に通っていたからなのだろうか、ガタイのいい自分をみて適性を判断し薦めてくれたことをはっきりと記憶している。それがなければ、アメフトをやっていたのか疑わしい。

そして、いま従兄弟は、偶然にも義父が現役時代に勤めていた会社に勤務している。大企業のため、もちろん面識はないが、縁のようなものを感じる。

それだけでは済まない。メールを読み進めると、現在の従兄弟のクライアントのオフィスが弊社オフィスのすぐ至近だという。どれくらい至近かというと、同じ台東区元浅草4丁目内で、そこにほぼ常駐しているというからビックリ。お昼時などすれ違っていてもおかしくない。

加えて、従兄弟は仕事柄、おそらく半年から1年くらいの単位でプロジェクトを担当していると思われる。現在のクライアントを担当してどれくらいが経過しているのかは知らないが、リードブロッカーが浅草にオフィスを移したのは、約2ヶ月前のことだから、今回のこのタイミングでなければ、驚くような偶然は起きなかったかもしれない。果たして、偶然という言葉だけで片付けていいのだろうか。

ふたりの共通点は、山の芋を食べて育ったということである。そう考えると、山の芋には滋養強壮の成分だけなく、人と人とをとりもつ不思議な成分も含まれているのかもしれない。今月末の再会が待ち遠しい。