先週、アース・ウインド&ファイヤーの創設者である、モーリス・ホワイトが亡くなった。

その訃報のニュースを見ながら、アース・ウインド&ファイヤーの名曲である「セプテンバー」や「ブギー・ワンダーランド」などを聴きながらグラス片手にステップを踏んでいた20代を思い出した。

image

・・・と少し背伸びして書いたはいいが、その年代の音楽に特段詳しいわけでもなく、ダンスがうまいわけでもない。

入社まもない頃、2つ年上の同じ寮で生活していた先輩に“Soul Sonic Boogie(通称SSB)”というクラブに連れられていったのが最初のキッカケ。それからというもの、週末のたびに、そのクラブに足を運んでいた。

 

その先輩は、洋楽・邦楽問わず音楽全般、なかでもソウルやR&Bミュージックにとても詳しく、寮の部屋には大量のCDを保有するだけでなく、ターンテーブルも設置していた。

 

何度となく部屋に呼ばれては、「いまのツナギ、どうよ?」とか「さて、次はどの曲くると思うよ?」といった感じで、なかば強制的に操作ぶりを見せられては、感想を求められ言葉を詰まらせていた。

 

そのおかげもあって、すっかりソウルミュージックの虜になり、いまでもたまに聴いてみては体をゆすってみたりしている自分がいる。本当になつかしい。

 

だから、今回のようなモーリス・ホワイト死去のニュースもそうだが、テレビや飲食店などで80年代のソウルミュージックが流れると、必ずと言っていいほど、その先輩のことを思い出す。

その先輩は、通称「TK」

 

現在アメリカの名門・スタンフォード大学のアメリカンフットボールチームでコーチをしており、アメリカンフットボールに関わっている人間であれば、先輩の名を知らない人はいないだろう。

 

約10年前になるが、その先輩が渡米する時のことをはっきりと覚えている。

 

自分が現役引退した翌年の2006年、アシスタントコーチとして、その先輩の下でコーチ1年目のシーズンを過ごした。

しかし、そのシーズンは、チームとして思うような結果が残せず、またお互いにいろいろと思うところもあって、チームを離れることにした。

先輩は本場アメリカでのプロコーチを目指すために渡米、自分は他チームへと移籍することにした。

 

ありとあらゆる人脈を駆使しながら、スタンフォード大学との接点を見つけた後は、ほぼ身ひとつで飛び込んでいったと認識している。

 

現在に至るまでどんな苦労があったのだろう・・といろいろ想像を巡らせながら書いてみようとしたが、所詮日本国内でゆったり生きている自分には到底想像できっこないだろうし、どこかおこがましく思えてきたので、昔を懐かしみながら、先輩に関するエピソードだけを2つほど書きたいと思う。

 

ひとつは、先輩の英語力について。

 

先輩は、渡米する以前から英語がぺらぺらで、日常的に横文字を使って話すことが多く、街中で外人と出会った際にも何ひとつ物怖じすることなく、積極的に会話していた。

 

特に、留学経験もなく、英会話レッスンを受けている様子でもなかったので、どうやって語学力を習得したのかを訊ねたことがある。

 

すると、「ええ曲あったら、なにを言ってるのか、どんな歌詞か・・知りたいと思わへんか?歌詞カードを確認して、頭に入れて、歌詞を踏まえ、曲に合わせて口ずさんでみる・・を繰り返しているうちに、語彙力と発音を覚えた。」とさらっと話してくれたのを覚えている。

 

渡米を見据え語学力を磨くために、洋楽やラジオを聴いたり、洋画を観たりすることはよくある話だが、そういうわけでもないことはたしか。

 

「ええ曲」とは言っていたものの、ほとんどの曲を気持ちよく口ずさんでいることから考えれば、全曲の歌詞を確認して、頭に入れて、歌詞を踏まえ、曲に合わせて口ずさんでいたような気がして言葉を失ってしまう。

 

もうひとつは、昨年のメールでのやり取り。

 

渡米まもない頃は、帰国する際には連絡をもらい会っていたが、ここ数年はやり取りもなくなり会う機会もなかった。自分が連絡すればいいだけだと考えれば、不義理を繰り返していたと言ってもおかしくない。

 

そんな中、昨年の暮れだったと思うが、自分がアメフトコーチを離れ、時間に余裕があることを察してなのか、「本場の試合を観に来いよ!来るならチケット手配してやるよ。」と声をかけてくれた。

 

以前からもずっと声をかけてもらってはいたこともあり、今年こそはチャンスだろう・・と調整を試みたが結果的には行けなかった。

 

ただ、そのやり取りにおいて、先輩から以下のようなメッセージが届き、何を根拠に言っているのか疑問に思いながらも、どこか自分の内面をすべて見透かされてるようにも感じた。

 

「おまえはどうせ来年以降フットボールに深く関わっていくような気がする。」

「おまえには戻る義務があると思うよ。フルでなくてもいいから、技術を後世に伝えていく義務があると思う。」

 

いつしか先輩は、アメリカでプロコーチになることが目標ではなく、その先に、日本アメフト界の発展や日本人選手の海外チャレンジのために、自分が海外との架け橋になりたいと話してくれたことを思い出した。

 

自分という狭い範囲だけで考えるんじゃなく、いろんな視点や将来を見据えて、自分が何ができるかをもっと考えろよ!と怒られているような気がした。

image