先日、先輩と飲んだ際に、とても興味深い言葉を教わった。

 

「確かなものは、覚え込んだものにはない。強いられたものにある。」

 

日大・篠竹監督が生前に取材の場で話していた言葉らしい。

 

また、京大・水野監督も別の取材で同義のことを話していたため、とても興味深く、鮮明に記憶に残っていると話してくれた。

 

日大の篠竹監督、京大の水野監督と言えば、アメフトに精通のない方でも聞き覚えのある名前ではないだろうか。

 

日本のアメフト界を代表するふたりの監督である。

 

「確かなものは、覚え込んだものにはない。強いられたものにある。」

 

あらためて、“強いる”を辞書で引くと、“いやがることを無理にさせる”、“強制する”といった意味らしい。

どこか時代錯誤で、ひとつ間違えば、要らぬ誤解すら招いてしまいそうな言葉ではあるが、自分にはとてもすんなり入ってきた。

 

決して、アメフトに限った話ではないと思うが、自分の経験に当てはめて考えてみた。

オフェンスラインという、目立たない割に影響力があり、絶対にミスが許されないポジションだったこともあるが、徹底的に基本動作をすり込まれた。

ランプレーにおいては、目の前の相手にヒットする際、いち早くスタートする(足を前に出す)ことが重要とされる。誰にでもできそうなことではあるが、相手がいる話であり、その時々の状況によって、できたりできなかったりする。

 

そんな時は、コーチの吹くハイテンポな笛のリズムに合わせて気が狂うくらいに何度もステップを踏む練習をする。

あまりにひどい症状の場合は、ゴムを足首にくくりつけ、後ろから引っ張り、ストレスのかかった状態でステップを前に出してスタートする練習をする。

 

また、相手を受け止めたり、相手を動きにリアクションする際、重心を落とし低姿勢のまま、上下左右に移動することも重要とされるが、ついつい膝が伸び切って前のめりになったりしてしまう。

 

そんな時には、腰にヒモをつけ強制的に低姿勢の状態を作り、その状態のまま左右に動く練習をすることもある。

 

手の使い方がまずければ、ゴムで縛ってヒット練習を繰り返したり、遠くから自分に向かってくるマシンにタイミングよくパンチを打つ練習もする。

 

とにかく、反復練習を通して、緊迫した試合のいかなる状況下においても、適切な基本動作を当然のごとくできる状態を目指す。

 

もちろん、その先には、チームの勝利、相手を打ち負かすという目標がある。

 

一見、強制感たっぷりにも感じるし、理不尽なようにも感じる地味な練習であっても、ひとつひとつの練習に意味や目的がある。無駄なことは何一つない。

 

理解力ある賢い人間は別なのだろうが、アホで鈍臭い自分のような人間はそれらを理解するまで長い年月がかかった。

 

しかし不思議なもので、ある瞬間からいろんなものが繫がり、試合の場面場面を想像しながら練習するようになる。

 

すると、厳しく辛いだけの練習だったものが楽しく感じる・・とまでは口が裂けても言えないが、どこか前向きなものとして取り組めるようになるのだ。

 

それが「強いられていた状態」から「確かなものとして獲得できた状態」になる瞬間なのだろうか。

 

仕事においても同じことが言えると思う。

 

自分の場合は、入社してから3年間くらいは、日常の言動のひとつひとつを徹底的に管理されたように思う。要するに、徹底的に強いられたのである。

 

スケジュールやタスクの管理、社内外に対して送るメール文面や資料の一言一句、代理で電話を受けた際のメモの残し方、飲み会の段取りなど・・何も考えずに何となく流そうものならケチョンケチョンやられた。

 

今となっては笑い話だが、易々と有休を取ろうとした時には、「仕事もろくにできないのに休んでいる暇があるのか?一人前になってからにしろ!」と一蹴されたこともあった。

 

その時は、悔しい気持ちいっぱいで殺意すら覚えたが、いま思えば、きっぱり言ってくれてよかったと思える。

 

アメフトにしろ、仕事にしろ、日常的において、“強いる(実践する)”と“フィードバック(振り返る)”を繰り返す。また、成長具合を観察しながら、その時々に合わせて、“強いる(実践する)”と“フィードバック(振り返る)”を重ねていく・・といった関わりを通して、思考や言動の礎となるものを徹底的に教わったと思っている。

「確かなものは、覚え込んだものにはない。強いられたものにある。」

最近では、すっかり自分が逆の立場に立つことが多くなってきている。

そんな中、思うことがある。

強いることの善し悪しはともかく、人の成長に何らかの立場で関わる以上、強いらなければいけない場面は絶対にあるように思っている。

 

人を強いるには、相当な覚悟のもと、エネルギーと専門知識をはじめ幅広い知識を持って向き合わなければいけない。

もちろん、人の成長を第一に考えた時には、いろんな感情うごめく中、心を鬼にして対峙しなければいけない場面も多々ある。

そう考えていくと、強いている側も、実は、強いるという行為を通して、自分自身をも強いているのではないだろうか。

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