ある番組での武田鉄矢の発言がウェブ上で取り上げられていた。

 

「人は教えようとした時に必ず間違う」

 

話の発端は、丸山議員のオバマ大統領に関する失言問題。武田鉄矢はこんな風にコメントを残したようだ。

 

「教えたくてたまらないんですね。人に教えたくてうずうずなさっている。」

 

「人間というのは面白いもので、教えようとした時に必ず間違うんですよ。

俺だけが知っているとか。こんな考え方も君たちはできないのかとか。人を導こうとか教えようとした時に必ず人間は失言する。」

 

また、それに対し、ダウンタウンの松ちゃんがこんな風なコメントをした。

 

「すっごい分かります。後輩に偉そうに、漫才とはこういうもんや。見とけ。と言って出て行ったら、だいたいすべるんです。」

 

この記事に目を通した瞬間、過去における自身の様々な場面での失敗が走馬灯のように駆け巡り、胸が苦しくなってしまった。

 

研修やミーティングといった仕事場面もそうだが、アメフトのコーチをしている時、家庭生活における会話のひとつひとつ、たまに依頼される結婚パーティーでのステージでもそうかもしれない。

 

何度か痛い目にあってきている。

 

簡単に自己分析してみると、自身が伝えたいことをどう伝えるか・・に終始している時に起きることが多いように思う。

 

本来ならば、相対する人たちの顔ぶれやバックグラウンド、どんな心境でこの場に来ているのか、どんな状況が考えられるのか、はたまた最悪の状況があるとしたらどんなことか・・などなど、考えられること、想像できることはすべて考え尽くした上で、リハーサルに次ぐリハーサルを繰り返し、万全の準備で挑むべきである。

 

自身が伝えたいことをどう伝えるか・・を熟考し工夫するのは、人様の前に立って話す人間の最低限の義務であり準備と呼べるだけのものではない。

 

そういう意味では、準備が不完全な時に起こるものだとも思っている。もう少し自分に当てはめて考えるならこうだ。

 

初めて経験する場ならば、誰しも準備に準備を重ねる。しかし、何度か繰り返し経験を積むと、「何とかなるのでは・・」「何とかなるだろう・・」などといった慢心が顔をのぞかせてくる。

 

これまた同じで、自分がやることに終始しているに過ぎない。

 

何度か繰り返し経験を積み徐々に自信をつけていくのはいいことだが、その一方で、相対する人たちがまったく同じであることはない。同じ類いの内容であっても、毎回違う人たちと相対することになるということがついつい抜けてしまうのだ。

 

思ったような反応を得ることもできず、集中力もどこか散漫になり、おかしな空気、寒い空気が流れることになる。

 

特に、自分は要領もよくなければ、機転がきくタイプでもないから、常に自分に対して半信半疑でいるようにしている。

 

そして、もうひとつ。

 

仮に準備万全で当日を迎えたとしよう。「やるべきことはやってきた!」とついつい意気込んでしまうが、それも気をつけなければいけない。

 

やっぱり相対する人たちの表情や反応を見なければいけない。出だしが大事ではあるが、気張らず焦らず・・が大事だと思っている。でなければ、準備してきたことが水の泡となって消えていってしまう。

 

少し脱線してしまったが、自分が知っていることのほとんどは、すでに皆が知っていることだと言い聞かせるようにしている。というか、現にそうだと思う。

 

なぜなら、自分も含めた人間というのは、分かっているのにできない・・ことばかりだから。そういった意味で、できない理由、継続できない理由をともに考え見つけ出し、それに対し何をどうしていくのか・・を少し先回りして、できるだけ多くの方策を提案するという点に注力するようにしている。

 

まあ、できているかどうかは置いておき、そんな風なことを心がけて向き合っていると、楽しいし乗ってくる。そうすると、いい空気が流れはじめ、相対している人たちもどこか楽しんでくれているように見えてきたりする。

 

「人は教えようとした時に必ず間違う」

武田鉄矢はあまり好きではないが、この言葉はしっかりと肝に銘じておきたい。

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