今回は、親父と自分との関係を振り返りながら、いまだかつて直接聞いたことのない親父の教育観について考えてみたいと思う。

 

まず、「親父が教員」というと、多くの方が「真面目」「厳格」「堅実」「口やかましい」といった父親像をイメージするだろう。

 

現に、幼い頃から友達にそのように言われてきた過去がある。

 

たしかに、幼い頃はそうだったかもしれない。だいたい10歳くらいまでは、よく怒鳴られたし、殴られることもあった。

 

ただ、それ以後、中学、高校と定期的に行われる試験結果、通知表について、父親からチェックされることもなければ、自ら報告したことはない。

 

また、高校受験、大学受験に関しても同様に、事後報告することはあっても、事前相談することは一切してこなかった。

 

少なからず、オカンに対しては、相談したり報告することはあったので、オカンを介して耳にしていたことようにも思うが、世間一般的に親が入手している情報レベルから比較すれば、半分にも満たないのではないだろうか。

 

※なにも声高らかに公表する内容ではないし、親の考えはどうであれ、金銭的精神的に支えてもらっている親に対して怠慢きわまりないことも理解しているが、自省の意もこめて書いている。

 

最近になって、「10歳くらいまで」というのには、親父なりの考えがあったように思っている。

 

先日、子供ができたことを親父に報告した時の話である。

 

これまでは、「祖父にならって、子供の世話にならないうちに、さっさとくたばりたい・・」と口癖のように言い続けてきた父親だったが、孫ができたことを知った時に、「嬉しい!」の一言に加え、「できる限り、長生きしたい。少なくとも、孫が成育する10歳くらいまでは・・。」と返してきた。

 

その瞬間は、「10歳くらいまで」について何とも思わなかったのだが、後日電車に揺られながら、「なんで、10歳くらいまでなんだろう・・」と考えている際に、ふと思い出した。

 

自分の時もそうだったように、人間の人格が形成していく上での、ひとつの節目が「10歳くらいまで」だと親父は考えているのかもしれないと思った。

 

その期間において、祖父として、できる限りの愛情を注いでおきたいと考えてくれているようにも思えた。

 

考えてみれば、自分が10歳くらいまでの期間に、親父が口うるさく言い続けてきたことはといえば、「元気よく挨拶をすること」「仲間を大事にすること」「相手の気持ちを考えること」「嘘をつかないこと」「協力すること」といった類いの内容ばかり。逆に、勉強しろ!などと言ったことは一切言われなかった。

 

あと、親父が中学校の教員をやっていたことも何かしら関係しているような気がする。

 

というのも、親父が教員なりたての頃、長年にわたり勤務していた中学というのが、一学年10クラス以上ある大規模な学校でかつ不良もたくさんいたために、ずいぶんと苦労をしたと聞いている。

 

何か事を起こした生徒の自宅に訪問すると、家庭環境に何らかの問題を抱えている、しかも想像もできないような状況や環境に置かれているケースが多く、生徒本人だけを叱りつけることはできない・・と話していたのを思い出す。

 

もしかしたら、親父自身、中学教員という職業であるがゆえに、目の前で起きている現実を通して、親としての義務や役割について、日常的に考えさせられる機会があったのだろう。

 

仮に、そうだとしたら、それらを通して、中学にあがるまでに、親としての義務や役割を果たそうと考えていたのかもしれない・・と思ったりした。

 

こうやって書いていくと、たしかに、悪ガキやヤンチャ坊主と呼ばれる小学生はいたとしても、人を傷つけたり周囲に迷惑をかけるような不良少年はほとんどいない。最近はこの理屈も通用しなくなってきているような気がするが・・。

 

昔から「三つ子の魂百まで」というから3歳なのかもしれないし、もう少し時間がかかるものだとすれば、10歳がひとつの節目という考えも、あながち間違っていないように思う。

 

一方、中学生以降、何ら関与しなくなったのは何故か?

 

親父の性格からして、親の意見を押しつけたり、親のエゴで子供の人生を方向付けるようなことをしたくなかったのだと思う。

 

また、ある意味では、親父自身、教え子たちが高校へと進み、その後はそれぞれがそれぞれの人生を立派に歩んでいく姿をみてきている中で、人には人それぞれの人生があって良いという価値観が根っこにあるのかもしれない。

 

親もとにいた大学時代まで、自分に対して何も口にしなかった親父が、社会人になって数年が経った時に手紙を送りつけてきた。

 

その中で、書き綴られていた一文がとても印象に残っている。

 

関西人特有の何とも下品な言い回しも多々あるが、それも含め、親父の教育観が表現された、親父らしい文章だったりする。

 

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<省略>

すべて重要なことは自分で決断すること。

そして、すべて自分で責任を取れ。最後まで親らしい忠告も干渉もしない。

 

「俺には、馬鹿な母親と薄情な父親しかいない」それくらいの現実認識をしろ。

 

そして、生きて行くということは、死ぬことより難しく厳しいこと、そのことを覚悟した上で笑顔で生きて行ってこそ偉大なのだ、と思う。

 

どう生きようと貴方の人生であるが、良家のボンボンでもないのに甘ったれるな。変な表現だが、薄汚い豚でしかないのに、可愛い猫と錯覚している豚は哀れである。豚が哀れなのではない。

 

大一番の時、他人任せ、運命任せの生き方をするな。私は、そうだった。意思も信条もないグウタラ人間の自省である。

 

泣き言、愚痴ばかりの甘ったれた人間にはならないでほしい。一人前の職業人になれ。そのことを言うだけのために、この長いだけの駄文を書いた。

 

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文中にもある通り、親父はよく自身のことを「薄情」や「放任」と表現することがあるが、自分は「自由」にさせてもらってきていると捉えている。

そして、「自己責任」が伴わない「自由」というのは、単なる「甘え」でしかなく、当時、成人してもまだ「甘え」が見受けられる自分に対し、暗にメッセージを送ってくれたんだと受け止めている。

読み返すたびに、果たしていまはどうなんだろう・・と考えこみ、ただただ身の引き締まる思いになる自分がいる。

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