唐突ではあるが、3月は親父の誕生月ということもあり、今月はいつもよりちょっとだけ積極的に親父のことを考え、この場で書き綴っていこうと思う。

 

祖父が早くに他界したこともあるのだろうか、幼い頃から口癖のように自らの人生を短命だと言い続けてきた親父、そんな親父も今年で72歳を迎えることになる。

 

何度となくブログにも書いてきているが、親父は中学校の教員をやっていた。

 

生まれも育ちも奈良、決して裕福とは言えない家庭で育った親父は、公立高校を卒業すると、奈良教育大学の美術専攻へと進み、そのまま中学校の美術教師となり、最後は校長で教員人生を締めくくった。

 

じゃあ、どういう経緯で教員の道を目指したのか・・・。

 

恥ずかしながら、いまだかつてその手の話を聞いたこともなければ、自ら進んで質問をしたこともない。

 

ただ、幼い頃から聞かされてきた大野家の事情や上京後たまに送られてくる手紙の内容からなんとなく想像できたりする。こんなようなことが背景にあると思われる。

 

祖父は、もともと寿司屋を営んでいたが、いろんな事情で店をたたむことになり、その後は流しの板前をやっていたと聞いている。流しの板前というものがどういうものかは分からないが、想像するに固定の店に腰を据えることなく、店を転々と渡り歩いていたのだろうか。

 

ろくに家にも帰らず、金も入れずに、祖父は飲み歩いていたらしい。一方、祖父の収入をアテにできない祖母は、内職をしながら子供2人を養っていた。

 

聞くところによると、親父には歳の離れた姉がいるが、その姉も高校卒業後すぐに就職し家計を支えていたようだ。

 

親父はそんな家族の姿を見ながら、きちんと教養を身につけ、立派な職業人になろうと思っていたのかもしれない。そんな中、もっとも安定感ある教員の道へと進もうと考えたようにも思う。

 

仮にそうだったとして、なぜ美術だったのかという疑問が残るが、そこには2つほど裏付けとなりうるエピソードを聞いたことがあり、いまも鮮明に覚えている。

 

ひとつは、親父が幼い頃の話になるが、近所の絵画教室に通っていた。絵画教室といっても、画家の端くれとも思われる先生がお寺の座敷の間を借りて、近所の子供達に良心的な月謝で教えるというもの。

 

何故ここまで具体的に知っているかと言うと、実は自分もこの先生に絵画を教わっていたのだ。

 

先生については、ベレー帽をかぶった口の悪い先生だった・・ということくらいしか印象にないが、一言だけ先生に言われた言葉を覚えている。

 

「お前のおやっさんは関心するくらい絵がうまかったけど、お前はもひとつあかんな。おやっさんの血をひいてるはずやねんけどなー。」

 

いま思い返すと、少しイラッとしてしまうが、当時は自分のことを否定されたことよりも、親父のことを褒めてくれたことをただただ誇りに感じていたような気がする。

 

恐らく親父は、調子のいい先生に絵の才能があると繰り返し洗脳されたに違いない。だから、教員という選択肢が思い浮かんだ時に真っ先に美術を選択したのだろう。

 

もうひとつは、親父が大学時代の話。この話を聞いたのはつい最近のことで、しかも酔っ払って気分よくなった時に熱心に語りはじめた。

 

親父は高校時代からラグビーを始めたのだが、通っていた高校というのが公立高校の中では強豪で、まわりのメンバーの多くがラグビーの名門
同志社大学へと進学していた。

 

先に書いた通り、あまり裕福ではない家庭だったこともあり、親父は同志社進学を断念、公立である奈良教育大学へと進学し、ラグビー部にも入部したものの、同好会レベルだったこともあって面白くなかったらしい。

 

そんな時、知人経由で高給アルバイトの話が舞い込んできたそうだ。内容はと言うと、子供達に絵画を教えるというもの。

 

金額は定かではないが、学生アルバイトとしては破格だったらしく、親父は飛びつくように引き受けた。

 

キッカケは「お金」ではあった。ただ、純粋な子供達ということもあるのだろう、ちょっと教えてあげると喜んで絵を描き出し、我を忘れて絵の具と汗にまみれながら夢中で絵を描く姿が親父にとっては新鮮だったようだ。

 

気付いた頃には、ラグビーそっちのけで、親父はどんどんハマっていき、おもしろいことに父兄からの評判も良くなり、身入りが増えていったと調子よく話してくれた。

 

そんなこんなで、幼い頃に絵画教室の先生に「お前は絵の才能がある」とそそのかされたことを大学受験時にふと思い出し、またそれを信じて進んでみたところ、子供に絵を教えるというアルバイトを通して美術教師の疑似体験をし、自分にとっての天職だと再認識したのだろう。

 

ちょうどキリがいいので、このあたりで終えることにしようと思うが、この推測が果たして正しいかどうかは次回帰省した時にそれとなく確認しようと思う。

 

あと、こうやって親父のことを思い浮かべながら書いてみると、当たり前ではあるが、自分にも親父の血が通っていることに改めて気付き、どことなく照れ臭い気持ちになってしまった・・。

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