医療機関の印刷物やホームページ制作をワンストップで受注

病院や臨床検査受託機関などの医療機関向けに特化して印刷物の製作を受託している、株式会社イステムジャパン。主な品目は、病院が臨床検査受託機関に検査を委託する際に使用するマークシート方式の検査依頼伝票や、医師が患者に病状の説明や証

明を行う文書などの医療業務に密接な帳票類はじめ、医療機関と患者や地域とのコミュニケーションを図る院内報、PR用の発行物や病院案内パンフレット、薬袋や封筒など医療機関内で用いる印刷物一式。これらをワンストップで受注している。

「医療機関に対するビジネスの特徴としては、1病院あたり200~300種類の印刷物を1,000部単位という小ロットで発注いただくところと、これらの納品は総務部一括とかではなく、使用するそれぞれの診療科などに直接お届けする院内配送まで引き受けるところです。大手の印刷会社はやりたがらない市場といえますね」と代表取締役社長の石川幸篤氏は説明する。

IT化が進展している近年、同社のビジネス環境が大きく変わり始めている。石川氏は次のように話す。

「印刷物のついでに、ホームページの作成も依頼されることが増えてきました。その一方で、電子カルテなど院内のシステム化の進展で、紙の帳票類が減り始めています。このことが、当社の大きな経営課題となっています」

いち早いDTPへの投資で大きく飛躍

同社の創業は1918(大正7)年。2018年に100周年を迎える老舗である。紙の卸商として創業し、終戦直後に活版印刷業に転進。東京都庁に取引口座を開き、1969年に都立病院が診療関係帳票を制定する際、その印刷に協力したことを契機に医療機関に特化していった。石川氏の父親である先代社長の石川美雅氏は、1980年頃に、日本初の4色分解による多色刷り検査依頼用複写伝票を考案。検体に貼るラベルと依頼伝票の色を揃えることで、作業効率や正確性を高めるといった工夫を凝らすなど、顧客に喜ばれる施策を通じて信頼関係を構築してきた。

1983年にコンピュータ組版・電算写植に進出、1988年にはデータベースから電算写植を出力する「ISTEM-XIP」(エキスパート・イメージ・パブリッシング・システム)という、現在のDTPの走りとなる専用システムをいち早く導入する。

「当社としては巨額の費用がかかり、投資を決断した父は『清水寺の舞台から飛び降りるとはまさにこのこと』と言っていましたが、これによって従来1週間かかっていた検査伝票の組版が1~2日でできるようになったのです。そこで、臨床試験受託機関の最大手以下から次々に受注が飛び込んで来て、当社が大きく飛躍した要因となりました」と石川氏は述懐する。

36歳で4代目社長に就任

石川氏が家業に入社したのは、1999年のこと。大学卒業後に大手通信会社に入社したが、後年に転職を考えていることを父親に話すと「ならばうちの会社に入れ」と命じられたという。

「一人っ子だったので、いずれは自分がこの会社を継ぐということは漠然とは意識していましたが、そう言われてもピンとは来ませんでした。しかし、数日考え、どうせやるなら早い方がいいと思い直して入社を決めたのです」

ただし、入社したのは子会社の医療機関向けコンサルティング会社。同社社長と美雅氏が、IT化の進展で印刷業界自体がシュリンクしていくことが想定されていた中、印刷業以外で何ができるかを考えられる人材に育てるべきと思料してのことだったという。

4代目社長を承継したのは、2008年6月。その前年に所属していた子会社が売却されることになり、それに伴ってオフィスを構えていた本所吾妻橋の自社ビルも東京スカイツリーの建設に伴う再開発で譲渡でき、借入金を一掃したことが契機となった。

「当時、私は36歳で父は63歳。引き際のタイミングを見計らっていたと思いますが、ちょうどいいきっかけができたと考えたのだろうと思います」

裏側の変調に社員間には“どこ吹く風”の空気

石川氏が社長に就任した当時、業績は悪くはなかったという。リーマン・ショックも医療機関にはさほど影響を及ぼさなかった
ことが幸いした。しかし「表面的には順調に見えても、裏側では明らかに変調が始まっていた」と石川氏は言う。印刷業界のシュリンクとともに、病院内の紙の伝票や帳票類のシュリンクが徐々に始まっていたからである。

「しかし、業績が落ちているわけでもないので、社員間には“どこ吹く風”といった空気がありました。現に、帳票類以外のパンフレットなどのオーダーが入っても、現場は印刷体制を変えることは非効率とお断りしていたのです。情勢は、逆にそうした仕事を取っていかなければならないにもかかわらず、です。私も父も、この空気を変えなければならないと感じました」

そこで、石川氏は機会あるごとに意識改革の必要性を話し、顧客である医療機関の人やコンサルタントなどを外部から招いて話をしてもらうなどの策を講じる。

「とはいえ、明確なビジョンを描けていたわけでもなかったので、社員の心にはあまり響かなかったようです」と石川氏は打ち明ける。徐々に体制や意識は変わりつつはあったが、はかばかしく進まなかった。「4~5年前から、『このままではまずい』と感じ、もっとドラスティックな変革が必要と考え始めた」という。そこで石川氏が考え付いたのは、M&Aという手法を用いることだった。

後継者難の同業者のM&Aに着眼

印刷業界全体はシュリンクしていても、医療界はシステム化が比較的遅れているといわれていた。そこで石川氏は、自社が未着手の領域が残されていないか探り始める。すると、どの大学病院や人間ドックなどの検診機関にも“超ニッチ”な1~2社の印刷業者が出入りしているのを知った。

「どこも街の小規模な印刷会社やファブレス型企業で、理事長や医局長と個人的な関係を深めて食い込んでいたのです。そんなところに私がノコノコ出ていっても、相手にされるとは思えませんでした。そこでふと、そうした印刷業者で後継者難のところはないのか、と思いついたのです。そんな会社ごとM&Aすれば、新たな領域や市場を手に入れることができると。さっそく動き始めました」

方法は2通り。大学病院に顔を出すたびに事務長と関係構築を図り、出入りしている印刷会社の情報収集をし、恰好の候補が見つかると事務長に仲介を依頼し接触を図るといった自前のアクションが1つ。もう1つは、東京商工会議所の「東京都事業引継ぎ支援センター」という仲介機関の利用である。同センターは、経済産業省が第三者への事業承継を支援する機関として2011年10月に創設された公的機関。経営者の高齢化などで事業承継に悩む中小企業を、事業意欲のある企業が経営承継することにより、事業の存続や雇用の維持を図る目的で活動している。2016年5月に新聞でその存在を知った石川氏は、さっそく申し込む。

相手の実直で仕事熱心な人柄に一目惚れ

すると、すぐに候補が挙がってきた。承継される側には承継者の社名を開示し、逆は開示しない「ノンネーム」方式の紹介だ。

「相手は、数多くの健診施設の問診票や結果表、心電図記録用紙などを手がけている同業者で、後継者が不在でした。まさに当社がM&Aしたい業態でした」

同年12月、イステムジャパンについてじっくり調べたであろう相手は、腹を決めて石川氏との初の面談に応じる。

「相手であるアスカビーエフ株式会社の岩浪社長の、実直で仕事熱心な人柄に一目惚れしました。年明け早々の休日、デューデリジェンスのために先方に赴き、その後酒も酌み交わして都合7時間ほど話し込んで、絶対にこの人とうまくやっていきたいと思えたのです。岩浪さんもそう思っていただけたと思います」と石川氏は力説する。そして両社は同年3月、アスカビーエフの全株式をイステムジャパンに譲渡する契約を調印。アスカビーエフは晴れてイステムジャパンの子会社となり、存続が図られることとなった。岩浪氏は取締役でない会長として残るが、代表権を持つ経営責任は石川氏が担うことになる。

アスカビーエフは印刷設備を持たないファブレス企業で、それまでは外部の印刷工場に委託していたが、今後はイステムジャパンの設備を使うことになる。「その場合のコストや納期の調整が当面の課題」と石川氏は明かす。また、アスカビーエフの社員にイステムジャパンの社内を見学させたり、社員同士が親睦を図れる場をつくり、融合を進めていく考えだ。

組織人事コンサルティング会社の活用で成果

初のM&Aを知ったイステムジャパンの社員は、驚いたという。

「社長は本気でドラスティックな改革を始めた、と受け止めてくれたようです(笑)。その意識改革の成果は、これから出てくることを期待したいと思います」

その1年半前のこと。石川氏は組織人事コンサルタントの活用を決める。「社員の意識改革に悩んでいる」と話した知人からリードブロッカーを紹介されたことが契機となった。さっそく、保守的な体質になっていた6名からなる営業チームのコンサルティングを依頼する。多忙な石川氏は営業担当者に同行する機会がなかなか取れず、自社の営業担当者が顧客からどう評価されているのかといったことや、何に悩んでいるのかといったことを深く把握しきれずにいた。

「リードブロッカーさんには、営業担当者に寄り添って私の耳にはなかなか入らないような悩みや課題を探り出してほしいとお願いしたのです」

すると、“6人6色”の性格や課題があり、通り一遍ではなくそれぞれに応じた処方箋が必要なことがわかった。

「そこまで深く考えていなかったと反省し、リードブロッカーさんにその処方に基づく“治療”をお願いしたのです。すると、2人の社員に劇的な効果が表れました」と石川氏は顔をほころばす。うち1人のベテランは消極的な姿勢が問題点であったが、プライベートではいろいろな役職を積極的に引き受けていることが判明。「何事も受け身では面白くないはず」といった切り口でアドバイスを続ける中、仕事でも徐々に積極性を発揮し始め、1年半で「見違えるようになった」と石川氏は驚く。

「そういうポテンシャルがあることに私は気が付くことができませんでした。リードブロッカーさんに頼んで本当に良かったと思っています。リードブロッカーさんには、引き続きアスカビーエフのコンサルティングもお願いしています」

“M&Aして自社流にリ・エンジニアリング”に活路

イステムジャパンの今後のテーマは、IT分野を中心に業態転換を進めていくために、引き続きM&Aに取り組んでいくことにある。

「私自身、生き残るには漠然とIT領域に事業を広げていく必要性を感じてはいますが、具体的にどんなWebサービスやシステム化がいいのかといった事業アイデアを考えることが難しく感じています。ですから、既存のサービスや顧客基盤をM&Aして、それを自社流にリ・エンジニアリングするほうが早く確実であると考えています」と石川氏は結んだ。

 

会社名
株式会社イステムジャパン
所在地
東京都墨田区東向島6-10-16
資本金
4000万円
従業員数
イステムジャパン 29名、アスカビーエフ17名(2017年6月現在)
事業内容
医療機関を中心とした印刷物の製造・販売、インターネットホームページ、パンフレットなどの企画・制作・販売
ウェブサイト
www.istem.com