年間100棟以上から
20棟程度まで冷え込んだ市場

千葉県八街市を本拠地として、分譲住宅や注文住宅の設計・施工・販売などを手掛けている、総武建設株式会社。事業エリアは本社から車で1時間以内と、地域密着に徹している。同エリアの住人の多くは千葉市や成田市、市原市など近隣都市に通勤する会社員世帯。以前は東京に通勤する住人も少なくないベッドタウンの一面もあったが、近年は減少の一途だという。八街市の統計によると、人口は2006年の7万7661人をピークに、2017年は7万1691人まで減少。一方、世帯数は同じく2万8177世帯から3万1133世帯まで伸び続けており、ここにも全国的な少子化や単身者世帯増の傾向が見て取れる。

「当社が設立された1982年は約3万5000人で、それから20年間で約7万6000人まで急増しました。当時は年間100棟以上は販売していましたが、10年前頃には50棟に落ち、現在は20棟程度です。一気に冷え込んだという感じですね」と代表取締役の小藪和美氏は言う。

独立のための修業中に
2代目就任を要請される

同社を創業した現会長の小藪正治氏は、東京の不動産会社に勤務の後、千葉県船橋市で建売住宅を主とする会社を創業。1982年に千葉県山武市で総武建設を設立し、1992年に伸び盛りの八街市に移転する。

「父は、よく八街では初の建売住宅の会社だったと話していました」と和美氏。

和美氏が2代目の社長に就任したのは、2009年12月。27歳の時であった。

「いずれは自分が継ぐだろうとは思っていましたが、独立志向があったので、自分の事業を手掛けた後でと考えていました。言われた時は『まだ早い』と思いましたね」と和美氏は述懐する。

和美氏は、大学卒業後に携帯電話向けコンテンツ事業などを手掛ける株式会社サイバードに入社し、3年間、営業職に従事。「将来の起業のため、営業を学ぼうという意識が強かった」という。その後、1年間の人材サービスベンチャーの経験を経て、当時関心を深めていたインテリアを学ぼうと美術大学の通信講座に入学。それとともに、母親の経営する不動産管理会社の手伝いに入った。そんな時に、総武建設の管理業務を全般的に見ていた社員が退職し、和美氏は正治氏から「手伝ってくれ」と要請される。社長就任の要請は、その2カ月後だった。男性社会の業界で、女性の、しかも27歳で管理職経験もないという異例ずくめの新社長の誕生であった。

「社長の勉強は、社長になってみなければできない」

当時の従業員は約20名。自社一貫施工を手掛けていたこともあり、大工6名、土木工事6名、営業4名、スタッフ4名といった陣容であった。

「父が社員や取引先の職人さんを集めて社長交代を告げる会を設けた時のことが強く印象に残っています。みんなの反応が気が
かりでしたが、父が告げた瞬間に安堵感のようなものが広がり、自分でいうのも何ですが、歓迎ムードに包まれたのです。2代目が決まって、会社は存続するんだという安堵感だったと思います。屋根屋さんや水道屋さんなどは当社100%でやっていましたから。また、父と同世代のベテラン社員の大工などは、私にとても協力的でした。当時までに会社は規模を縮小していましたが、おそらく父はそういう人を残してくれたんだと思っています」

和美氏の兄弟姉妹は、妹が1人。正治氏は、早くから和美氏を2代目候補と考えていたフシがある。和美氏を子供の頃からよく会社に連れて行き、また学生時代は施工現場の手伝いなどを本格的にさせてきたからだ。

「社長交代の時、父は61歳です。普通ならまだまだ現役でしょう。それでも委譲したのは、『社長の勉強は、社長になってみなければできない』という考え方があったのではと思います。おそらく10年タームで私の育成を考えていたのではないでしょうか。5年目の折り返し点を過ぎた頃から、私のやることに口を出さなくなりました。また、就任当時の私の27歳という年齢は父が最初に起業したのと同じです。だからできると思ったのかもしれません。社員の退職は絶好のタイミングと思ったのでしょうね」

5年がかりで営業体制を入れ替え
徐々に“和美カラー”を打ち出す

しかし、正治氏は和美氏に社長業を具体的に教えるということを一切しなかった。職人との打ち合わせや営業などに“カバン持ち”として同行させ、見聞きさせるだけである。和美氏も正治氏に聞くこともなかったという。

「家庭の中でも母や私は敬語を使って話すほど、父は非常に封建的な人なのです。恐くて、当初は仕事の話などできませんでした。そんな間柄ですから、会社においては“父と娘”ではなく“上司と部下”という関係にすぐになれたと思います」

就任当初は経理や積算、原価管理などを手掛けながらお金の流れをマスターし、次に営業に出て、その後施工現場にも出掛けるといった順番で全社を掌握していった。施工現場は棟梁と若めの大工という2人1組になって手掛ける場合が多く、現場の仕切りの一切は棟梁に安心して任せられる体制ができていた。

「お客様からクレームを頂いた場合は、私ではなくお客様の声としてそのまま伝えることを心がけました。彼らは素直に聞き入れて改善してくれます。やりにくさのようなものは感じずに済みました」

一方、問題があったのは営業部門だ。ハウスメーカーは展示場で顧客を待つスタイルの営業が主流であるが、建売の場合は一匹狼的な営業担当者が紹介などをたどって攻める属人的なスタイルが主流であった。歩合制で、会社の利益よりも自分の業績を優先するので「売れればいい」という感覚になる。同社にも、そういった傾向があった。

「棟数が減っていく中、そんな荒っぽいスタイルで地域の評判を落とすのは命取りになりかねません。大手と違って、小規模の当社はここに密着してやるしか生きる道はないと感じていました。営業のやり方は変えなければならないと就任早々、感じましたね」

地域に密着して生きていくためには、地元のイベントに小まめに顔を出すとか、販売した家の点検に行くなど、やるべきことが変わる。60歳前後と高齢化していた営業担当者に、今さらやり方を変えてもらおうとしても、何十年と蓄積してきたスタイルは変えられない。

「話し合いの場を持ち、業績が上がっていないことを理由に退いてもらいました。それとともに、新たに営業担当者を採用していきましたが、入れ替わるのに5年以上かかりましたね」と和美氏は打ち明ける。

そして、試行錯誤しながらも徐々に“和美カラー”を打ち出していった。

30年、50年のスパンで
八街の魅力発信に取り組む

建売住宅のチラシを新聞に折り込んだりポスティングしても、なかなか結果には結び付かない。イメージが悪くなると、店にも置いてもらえない。そこで和美氏は、自社だけでなく住宅に関連性の強いペットショップやホームセンター、ガーデニング用品店などとの共同販促を思いついた。『YACHIMATA  LAND(やちまたランド)』というライフスタイル情報紙的な3つ折りのチラシを作成して配布する。しかし、それもうまくはいかなかった。「このエリアにそういうカルチャーが根付いていなかった」からだ。また、八街にはお祭りなどのイベントが少ないことに着目し、本社脇の空地でフリーマーケットを1年ほど開催する。これも来場者や出品者のニーズを満たせずに終わる。一方で、フランチャイズチェーン加盟やロードサイド展示場なども検討したが、「どれもしっくりこなかった」という。

八街で事業を続けるからには、八街以外の人に八街を「住んでみたい」街として感じてもらう必要がある。そのためには、すでに八街に住んでいる人に地元の魅力を再認識してもらい、外に広がっていけばいいと和美氏は気が付いた。八街にしっかり根を張るためには、まずは八街の魅力を掘り起こすことが先決である、と。

そんな目で改めて生まれ育った街を見渡すと、歴史や文化や建造物などはないものの、日本一の収穫量を誇る落花生をはじめ、
様々な農産物が豊富にあることがわかった。住宅用地として農地を仕入れたり、趣味として始めた家庭菜園を通じて農家さんと出会ううち、和美氏は「それぞれの考え方で農業を営む個性的な姿に引き込まれた」という。

「これを発信しないのはもったいない! と思ったのです。八街には実に豊かな食文化がある。とても大きな魅力だと。思わず『八街の魅力は食文化』という企画書をまとめて、市長にプレゼンに行ったほどです(笑)」

すぐ隣に魅力的な生産者がいるにもかかわらず、そのことを知らない住民は離れたスーパーで他県の野菜を買うといった状況であった。そこで和美氏は『ちばのへそ』というB5版8ページの季刊エリア情報誌の発行を始める。季節ごとにイチゴやスイカ、ナシなど旬の食材をテーマに取り上げ、自ら生産者や関連団体、専門家に取材し記事を執筆。地元のデザイナーとの二人三脚による手づくりだ。それとともに、そのテーマ食材を収穫して味わうイベントも開催し、生産者と生活者の出会いの場も提供している。

「このイベントは5500円の参加料を頂いていて決して安くはありませんが、80%は地元の住人です。毎回好評ですね」と和美氏は顔をほころばせる。なお、『ちばのへそ』は地域を知る極めて有効な手段と、社員にも関わらせている。

「即効を狙っているわけではありません。30年、50年のスパンで取り組むべきテーマと考えています」

注文住宅への進出と、社員を巻き込んで
企業イメージと就業意識の刷新へ

本業では、建売だけでなく注文住宅にも踏み出した。

「注文住宅は個別のお客様のニーズに100%応えるわけですから、建売とは全く異なります。我々のスキルを高めなければなりませんし、またそのことで当社のイメージアップにも繋がります。この八街から逃げるわけにはいかないので、覚悟して取り組んでいくつもりです」

そんな同社の橋頭保となる実験的なモデルハウスを、本社近くに建てた。その家は、たまたま知り合った九州の建材会社が提供
する、じっくり熟成乾燥させた木材や完全天然素材の漆喰、竹炭入りの畳などを使用。シックハウスなどとは正反対の、空気を清浄化する“空気がうまい家”だ。2020年に住宅会社が法律で義務付けられる「省エネ住宅」対応への布石でもある。

「坪単価は通常の注文住宅の倍ぐらいはしますが、家という一生の買い物の際に木の家について知っていただく意味は小さくないと思っています。そして、地域の人が家のことで困ったら『まずは総武に行け』と思っていただけるような存在になれればいいですね」

そこで、和美氏は会社のイメージを刷新していくため、ロゴやチラシなど対外広報物のCIにも取り組み始めている。週1回のペースで、社員とともに「会社とは何か」「仕事とは」「顧客満足とは」といった次元から語り合う場を設け、まずは社員がゼロからチラシを考えた。

「父の時代には考えられなかったことです(笑)。社員は都心部のショールームや展示場に見学に行くようにもなり、“差別化”といったワードを口にするようになりました。社長に就任した時とは、様変わりですね」

異例ずくめだった、マネジメント未経験の27歳の女性社長は、今や押しも押されもせぬ一経営者に成長している。

 

会社名
総武建設株式会社
所在地
千葉県八街市八街ほ310-2
資本金
1,500万円
従業員数
20名
事業内容
分譲住宅・注文住宅の設計・施工・販売ほか
ウェブサイト
http://soubukensetsu.com/